メールマガジン

2016年1月からメールマガジンを細々と書き連ねております。

まぐまぐ大賞2019年、2021年、2022年 教育部門2位受賞

宮本哲也のマンハッタン通信~日々、自己ベスト更新!サンプル号

出国(2015年2月10日)

この日も朝から憂鬱でした。

東京駅近くのホテルの自室で目が覚めてからも,気分がどんどん沈み込んで

行くのがわかりました。

「まだ,間に合う。今なら引き返せる。」と2月6日までは思っていました。

7日に物がすべて運び出され,空っぽになった教室を眺めて,

「もう間に合わない!もう引き返せない!」

ことを確信し,そこから憂鬱が始まりました。

「出国」の二文字に押し潰されそうでした。

何事もなければ、この日の朝便で日本を出ます。

日本にはもう帰る家も教室もありません。

「どうしてこんなことになったんだろう?」

気がつくと、100回以上、振り返ったことをまた振り返っていました。

2013年の前半が面白すぎたのです。

5月7日、学研ホールにパリアメリカンスクールの3人の先生と18人の生徒を

招いて、様々なイベントを行いました。途中から、うちの卒業生も加わり、交

流会も行いました。

6月13日、タイ北部チャンライのバン・ファイマヒンフォン小学校を訪問し、

小学5年生、6年生の生徒相手にそれぞれ90分の授業を行いました。

計算ブロックの解き方と作り方を教えました。

どちらのイベントも私にとっては全く未知の領域のものでしたが、子どもたち

と楽しく、充実した時間を共有することができました。

「天下無敵の宮本算数教室」「世界にはばたく宮本算数教室」と1993年に開校

して以来、生徒もいないのに、吹き続けてきたホラが現実味を増したことを実

感しました。

「これは面白い!お金持ちの子どもはどこからでも来なさい。貧しい子どもた

ちのところにはどこにでも行きます。ダイビングはもう辞めた。こっちの方が

ずっと面白いし、ずっと有意義だ。」心の底からそう思いました。

シティバンクの広告をご存じでしょうか?

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人生。

28歳の野心。

33歳の決意。

40歳の意欲。

46歳の充実。

53歳の余裕。

58歳の挑戦。

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私がこの広告に初めて気づいたのは,2011年で,当時51歳,「モーニングバー

ド」(テレビ朝日)の取材を受けている最中でした。

28歳の野心

TAP三鷹で教務主任をやっていました。世界一の算数講師になるつもりで,

仕事に没頭していました。

33歳の決意

横浜駅西口に宮本算数教室を設立しました。

40歳の意欲

38歳のとき,最初の著書「合格パズル1」「合格パズル2」(東京出版)を出

してもらい,40歳のとき,「合格パズル3」「合格パズル4」(東京出版)を

出してもらいました。

「このペースで死ぬまでに100冊出す!」と意欲は旺盛でしたが,5冊目はずっ

と先でした。

46歳の充実

「情熱大陸」に出ました。この番組は私の人生を力強く後押ししてくれました。

53歳の余裕

51歳のときにこれを見て「自分の人生に余裕なんてあるはずがない。」と思い

ました。「でも,余裕がなければ,53歳のときに,パリの子たち,タイの子た

ちと交流は持てなかっただろうな。」と後に思いました。

58歳の挑戦

「53歳の余裕が5年間続いて,その後,大きな挑戦をするのかな?」と思って

いましたが,これは大きくはずれました。

9月はわくわくしながら待ちました。

「ベトナム?カンボジア?ミャンマー?ラオス?それとも,別の国のアメリカ

ンスクールが来るのかな?」

10月はそわそわしながら待ちました。

「遅いなあ。どこでもいいから学校訪問をしたい!」

11月は焦りながら待ちました。

「まさか何もないってことはないよね?」

結局,何も来ませんでした。

11月15日の夜、日本橋の教室で、ぼそりとつぶやきました。

「つまらない...」

この一言でつまらない気持ちがどんどん増大し,16日朝には教室のマンハッタ

ン移転を決め,ニューヨークにいるビジネスパートナーの吉村さんにメールを

送りました。

「2015年に教室を日本橋からマンハッタンに移す。2014年3月にそっちに行く

ので,イベントをたくさん入れて下さい。」

このとき,人生最大の高揚感を体験しました。

「日本のど真ん中,東京駅の次は,世界のど真ん中,マンハッタン,グランド

セントラル駅だ!」

2014年はニューヨークに4回行き、多くの方々のお蔭でいろいろなイベントを

させて頂きました。すべてが充実して、楽しかったです。

でも、このときは旅行でした。

最長でも8泊9日で東京の自宅に帰ってほっとし、日本橋の教室に戻って気持ち

も新たに授業に臨むことができました。

「旅行と出国は全然違う。」

そんな当たり前のことを本当に実感するのが出国当日とは鈍いにも程があると

心の底から自分に呆れました。

実は,教室を日本橋からマンハッタンに移すなんてことが本当に実現するとは

思っていませんでした。

「何かがこの無謀な挑戦にストップをかけてくれるはず。」

と思い,期待もしていました。

最初の関門は健康問題

「大学に入ってから,35年間,ほぼ毎日,アルコールを飲み続けている。父は

40代で糖尿病を発症した。自分の身体が無事なわけがない。」

意外なことに,これはあっさりクリアされてしまいました。

次がビザの問題

これもあっさりクリアされ,日本に居ながら,グリーンカード(E-11)が

承認されました。

アパートの契約も12月に終わり,最後の渡航検診も問題ありませんでした。

私の野望を止めてくれるものは何もありませんでした。

成田空港で飛行機に乗り込んだ瞬間,憂鬱は恐怖に変わりました。

「取り返しのつかないことを仕出かしているのではないだろうか?」

怖くて仕方がありませんでした。

「もし,何かの都合でこの飛行機が成田に引き返すことになったら,教室のマ

ンハッタン移転は止めよう。」

もちろん,そんなことは起こりませんでした。

心の中の冷静な部分がつぶやきました。

「そんなに怖いのなら,やらなきゃいいのに。バカだなあ。」

まったくその通りです。

その通りなのですが,挑戦しない理由,挑戦しなくていい理由がひとつも見つ

けられなかったのです。

何を食べても,何を飲んでも味がしません。

ヘッドフォンをつけて映画をみても何も頭に入って来ません。

前触れもなく,身体が震え出し,涙が流れました。

CAの方たちが心配して代わる代わる話しかけてくれました。

そのときだけは気が紛れ,楽な気持ちになりました。

JFKに着陸する1時間前に頼んでいないフルーツのプレートが来ました。

そこにはチョコレートでこう書かれていました。

「きっとうまくいきます!宮本様のご成功を心からお祈り申し上げます。 

乗務員一同より」

しばらく,ぼんやりとそのプレートを眺めた後,涙が止まらなくなり,泣きな

がら頂きました。お礼を行って,飛行機を降り,いよいよ入国です。

今回から並ぶレーンが異なります。

アメリカ大使館から送られて来た大きな封筒をパスポートと一緒に差し出すと,

中身を確認した上で,別室に案内されました。

「難しいことを聞かれても答えられないなあ。」

と不安を抱えながら,待っているとサインだけで済みました。

永住者として初めてアメリカ合衆国に入国しました。

私は何をするのも人よりだいぶ遅いのです。

のんびり生きているのではなく,じっくり生きています。

「生き急ぐ」の逆の生き方です。

55歳にして,初めての海外生活がこの瞬間から始まりました。


https://www.mag2.com/m/0001670576